2011年7月31日日曜日

横浜野毛町 その2 (横浜道)

関内の外人居留地から東海道に至る旧道は、「横浜道」と呼ばれている。
ハリスと交わした日米修好条約では開港地は神奈川とされていたが、異人との衝突を恐れた幕府は、神奈川の一部だとして横浜に強引に開港したのだ。「横浜は神奈川の一部」というのは現在では全く違和感ないが(廃藩置県で「神奈川県」とし、後から強引に正当化したことによる)、当時は神奈川とは神奈川宿あたりのこと。神奈川宿から横浜村に至るルートは、保土ヶ谷から井土ヶ谷に大きく迂回するか、海を渡るルートしかなかった。その当時、横浜駅付近には入江が深く食い込んでいたのだ。

大岡川河口;右が関内  (Carl Zeiss Jena Flektogon 35/2.8)

大岡川河口  みなとみらいを望む    (Carl Zeiss Jena Flektogon 35/2.8)

大岡川河口から上流を見る;右岸が野毛町方向 (Carl Zeiss Jena Flektogon 35/2.8)

大岡川野毛町側 川縁  (Carl Zeiss Jena Flektogon 35/2.8)


開港にあたり、東海道とのルートを確保するため突貫工事で道を切り開いたのが「横浜道」だ。帷子川河口の湿地帯を横切り、野毛山を切り開いてほぼ一直線に結んだ。開通したのは開港1日前であったという。

居留地側から見ると「横浜道」の起点は吉田橋である(現在は下に高速道路が通る)。イセザキモール入り口の右から斜めに吉田町を横切り(吉田町通り;この通りでアート&ジャズフェスティバルが開催される)、大岡川を渡って野毛町に至る。大岡川から西側はすべて埋立地である。吉田町の名も江戸時代埋立に尽力した「吉田勘兵衛」に由来する。

横浜道に架かる都橋を望む (Carl Zeiss Jena Flektogon 35/2.8)

都橋より吉田町通りを望む;奥に行くと関内に至る (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

都橋から野毛町を望む  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)


大岡川に架かる都橋のたもとに「都橋商店街」がある。商店街というもののほとんどがスナックや居酒屋だ。東京オリンピックのクリーン作戦の一環として付近の露天や屋台を集めたのだという。開設当時、一階は普通の商店街であったが、時代を経るに従って飲み屋が増えていったらしい。今でも大家は横浜市とのことである。

大岡川に沿って緩やかにカーブを描き、建物としてまた川辺の風景としても面白いが、狭い川岸に無理に作ったため奥行きが4mほどしかない。極小の店である。それもまた魅力の一つであろうが、一見客としては少々入りづらい。

野毛商店街  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛商店街  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛商店街  みなとみらい方向を望む (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛商店街  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛商店街の2階  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛町  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

前回紹介した「若竹」   (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛町が活気づくのはまだこれから  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)


「横浜道」は、そのまま野毛大通りを通って、野毛坂交差点から右に折れる形となる。野毛山は居留地との接触を防ぐ自然の砦となっていたのだろうが、そこを切り開いて道にしたのが「野毛の切り通し」だ。頂上付近に「神奈川奉行所」が置かれた。切り通し頂上の交差点を右に折れると「紅葉坂」となる。

野毛交差点から切り通し方向を望む (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

野毛切り通し (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)


野毛山の頂上には、「横浜成田山」がある。開港によって増えた人々のために成田山の別院として建てられたのだが、この場所になったのはかねてから成田山の篤信者であった「高島嘉右衛門」の寄進による。高島嘉右衛門は明治初期、横浜駅付近の埋め立てを行った人物であり、その名は現在の「高島町」に残されている。


当時、野毛山からは眺めが素晴らしく居留地を一望できたようだが、現在ではビルに遮られ海を見ることはできない。しかし、みなとみらいの超高層群との対比が面白い。

野毛町からランドマークタワーを望む (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)


Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

横浜成田山 (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8

野毛山の崖;かなり急  (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

下から見た横浜成田山 (Carl Zeiss Jena PANCOLAR 50/1.8)

2011年7月24日日曜日

横浜野毛町と武蔵屋

野毛は庶民の町というイメージがある。大衆演芸の「横浜にぎわい座」ができ、大道芸のフェスティバル開催でも有名になった。
戦後は闇市のメッカであり、造船所(今のドッグヤードガーデン)があった頃は、そこの工員達で賑わっていただろう。美空ひばりの「悲しき口笛」は、野毛の「風太郎(プーたろう)」が主人公だ。

現在でも、様々な飲食店がひしめく独特の町である。居酒屋に混じってジャズが流れるバーがあったりするところが横浜らしい。

野毛仲通り入り口 (RICOH GX200)

野毛仲通り  (RICOH GX200)

RICOH GX200

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前から行ってみたかった「武蔵屋」を訪れる機会があった。老姉妹ふたりで切り盛りしている居酒屋である。
随分前に雑誌で見て行ってみようと思ったのだが、地図が大雑把すぎて見つけられなかったのだ。
それもそもはずで、見かけは何の変哲もない民家。看板も赤ちょうちんもない。
7時半頃着いたのだが、案の定満員で、しばし外で待つことに。聞けばずいぶん長い間休業していたらしい。

武蔵屋外観  (ipod touch)


中に入ると昔ながらの土間の居酒屋。十条の斎藤酒場もそうだが、こちらの方はもう少しこじんまりとしている。
カウンターとテーブルがいくつか。奥の座敷に通された。ちゃぶ台の幅が30cmくらいしかない。どっこらしょと座り込むが満足に足が組めないほど狭い。
座ると、すかさず「お酒ですか」との問い。ここは料理はすべてコースで、飲み物も基本的に日本酒だけだが、最初の一杯だけはビールを飲むことが許されているらしい。「お酒ですか」とは「ビールはよいですか」との意味であった。
また、お酒は三杯までしか飲めないことで有名である。ただしコップ酒なので、三杯も飲めば十分だ。
コップが置かれ、土瓶からお酒が注がれる。表面張力ギリギリで止める。上手いものである。注いでくれたのは学生のアルバイト風。ぬる燗で飲み助には丁度よい。
最初の小鉢は玉ねぎの酢漬けとおから。お酒がなくなる頃、次の小鉢も出てくる。納豆とメインディッシュの鱈豆腐だ。お新香が出てくると、これで終わりという印。でてくるおつまみも昔から変わっていないらしい。

老姉妹の方はお一人しかいらしゃらなかった。妹さんのほうが入院されているらしい。代わりにお姉さんの肩を揉んだり、料理の手伝いをしているのは横浜国大の学生だということだ。教授が常連でその縁で手伝うようになったという。
そういったことを、隣席の常連の方に教えていただく。もう何十年もこの店に通っているという。
こういう店では、客同士も自然に会話が弾む。

とりあえずは火、水、金の週3日営業とのこと。勤めが東京なので平日にそうそう来ることはできない。
つくづく残念なことである。

一杯目:玉ねぎの酢漬け、おから  (ipod touch)

二杯目:鱈豆腐、納豆   (ipod touch)

三杯目:お新香  これでおしまい   (ipod touch)

ipod touch


その後、野毛の老舗の焼き鳥屋「若竹」に立ち寄った。ここもご夫婦で何十年も切り盛りしている。女将さんの笑顔が嬉しいが、ついつい話がスタルジックな昔の話に戻ってしまうのだ。「そうそう、昔はねえ…」

若竹:歴史のあるカウンター  (ipod touch)
































若竹:おかみさん  (ipod touch)































Carl Zeiss Jena TESSAR 50/2.8
RICOH GX200


RICOH GX200

RICOH GX200

2011年7月18日月曜日

鎌倉円覚寺

円覚寺は北鎌倉駅から一番近いお寺だ。それどころか線路を挟んだ「白鷺池」もそもそも境内であったという。境内を突っ切る形で線路が通っている。横須賀線はもともと海軍の本拠地である横須賀に行くための軍用線路であったため、かなり強引に作られたのではないか。

PENTAX Super-Takumer 55/1.8

PENTAX Super-Takumer 55/1.8


円覚寺は建長寺に比べ、北条家の私寺の性格が強いと言われる。こじんまりとして落ち着きのあるお寺だ。禅宗のお寺らしく、一般向けの坐禅もよく行われている。夏目漱石もよく参禅したとのことである。「門」には鎌倉のお寺に坐禅に行く主人公が描かれている。

総門 (smc PENTAX-M 35/2)

三門  (PENTAX Super-Takumer 55/1.8)

smc PENTAX-M 35/2

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PENTAX Super-Takumer 55/1.8

smc PENTAX-M 35/2

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建物を撮る場合には(その他の場合でも基本的には同じだが)、水平、垂直を確保することが重要となる。水平方向も垂直方向も同時に正対させるためには被写体面と受光面を完全に平行にする必要があるが、高い建物など撮る場合には、カメラが仰ぎ見る形になってそうはならない。高い建物を撮るとき、上すぼみのパースがかかるのはそのためだ。それを補正するにはあおり機構の付いた特殊なレンズが必要だ。
一般的には水平か垂直かどちらかを合わせることとなる。つまり、カメラの構え方が重要になるのだが、これが難しい。ブログ主の場合、どうしても右側が下がる傾向にあるようだ。
それを直すには、ファインダースクリーンを方眼入りにする方法もあるが、すでにマイクロプリズム入りのものに変えているのでそれもできない。デジカメの中には水準器を搭載しているものもあるのだが。
そこで最終的には、写真用のレタッチソフトのお世話になる。明るさや色調の補正はほとんどしないが、傾きの補正はしょっちゅうだ。
便利な世の中になったものだが、そのたびに基本的な撮影術がまだまだ身についていないのを感じて悲しくなるのだ。

smc PENTAX-M 35/2

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smc PENTAX-M 35/2

妙香池付近 (smc PENTAX-M 35/2)

smc PENTAX-M 35/2

smc PENTAX-M 35/2

smc PENTAX-M 35/2

smc PENTAX-M 35/2

鐘楼  (smc PENTAX-M 35/2)

洪鐘  (smc PENTAX-M 35/2)

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鐘楼脇の茶屋  (smc PENTAX-M 35/2)

東慶寺を望む;ハレが出てるが雰囲気も出ている (smc PENTAX-M 35/2)

smc PENTAX-M 35/2

PENTAX Super-Takumer 55/1.8

三門から総門を望む  (smc PENTAX-M 35/2)

夕暮れの総門  (smc PENTAX-M 35/2)

横須賀線北鎌倉駅ホーム  (PENTAX Super-Takumer 55/1.8)