家の近くの中川運河を描いたものだ。今は汚れているが、その当時はまだ水も澄んでいたて、泳ぐことが出来たとよく聞かされた。
「中川運河」 水彩 |
そんな父の影響からか、小さい頃から絵を描くことは自然なことだった。絵画コンクールにも何回か応募した。「子供らしくない」という理由で落選したことを思い出す。港でのスケッチ大会だったのだが、「子供というのは船は真横から描くもの」だそうだ。私の絵は斜め上から、に海いっぱいに行き交う船を描いていた。
そのせいか、今でも「絵はこう描く」と言われるのが嫌いだ。もっと自由なものだと思う。専門的に絵を習ったこともないし、同じ意味で公募展に出そうと思ったこともない。
どんな絵を描くかは人それぞれだし、見る時も人それぞれに好みがある。高校野球のポスターのコンクールがあるが、毎年、同じテイストの絵が入賞する。おそらく選ぶほうがそういう絵を選んでいるのだろうし、おそらく応募する側もそれを見て、それに合った絵を描くのだろう。つまり初めから(描く前から)、1等賞を取る絵は決まっているのだ。
「緩和ケア病棟にて」色鉛筆 |
父の遺作は、入院中に描いた絵となった。絵の道具を持って入った訳ではない。お見舞いに来た親戚の人にスケッチブックを所望したらしい。
緩和ケア病棟の広いデイルームから、屋上庭園を描いた。夏の盛りの頃だ。小学生用のスケッチブックに8色入の色鉛筆で描いてある。すこし体が弱くなってきており、意識もだんだんと薄くなってきているころなのか。夏の光と影は存在するものの、色と線はあくまで柔らかい。
父が亡くなってから、しばらくお休みしていました。また、再開しようと思いますので、よろしくお願いいたします。
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